2007年03月28日

3歩進んで5歩下がる

結局、3日連続パニック起こしてます。

人混みがダメなのか、人と接することすらダメなのか、
自分でも良く分からない状態です。

満員電車で目をつぶって下を向いてるなんて、
一昨年のひどかった頃と同じじゃなかろうか。



でも。

こんなとこで、愚痴ともつかない弱音を吐き続けてることが是か非か、という意見もあるかもしれないけれど、
私は、これはこれでひとつのスタイルだと思ってる。


精神的に弱る人は、往々にして孤独で、
“こんなことでくよくよしてるのって、私だけじゃないだろうか”
“こんな些細なことが気になってしまうって、おかしいんじゃないだろうか”
ということに対しても不安を持ってしまうんですよ。

外科的疾患のように目で見て分かるもんじゃないし、
内科的疾患のように検査数値で分かるもんでもないし。

だから、私が、
「苦しい、しんどい、ダメ、できない、」
と言うことで、
“ああ、私だけじゃないんだ”
と、少しだけ孤独感が和らぐ人がひとりでもいれば、
私が弱音を吐いていることにも意味があるんだろう。


もちろん、それは到達点ではなくて通過点のひとつで、
進むべき道はそこからまだ続くのだけれど、
通過点に辿り着くことすらできずに苦しむひともあるんだし、
通過点をひとつ通り過ぎることで、少しでも自信を持てるかもしれないのだし。


…って、これ、自分自身に言い聞かせているみたいなもんだけれど。




話は少し変わるけれど、鈴虫寺に行ってきました。

知る人ぞ知る、
「願いを叶えてくれる」京都のお寺です。

前にも何度か参拝してるのですが、今回お説法を聞いて、とても印象に残ったのは、
“願い事を掛ける順序”。

例えば、順序だてるなら
「私にふさわしい良い人と出会えますように」
→「その人と相思相愛になれますように」
→「その人と結婚できますように」
なのに、往々にして
「結婚できますように」
から願っちゃう人が多いそうで、
それは順序が違う、ということだそうです。

なので、今の私の状況で、何を願うかを整理してみたところ、
 「生活」→「健康」→「恋愛」
の順に重要度が増すよなぁ、と。

昔、お参りした時には、
「生活や仕事なんかのことが自分の努力で何とでもなるけれど、人の恋心は努力だけじゃ何ともならんから、お地蔵さん助けてくださいな」
だったんよな私。

あは恥ずかしや。


まぁ、そんなことが理解できるようになった分、少しは成長したんとちゃうかなぁ。

なんて思いつつ帰ってきました。



まぁそんな訳で、
とりあえず、薬箱から頓服に使えそうな薬は物色しておこう。

さすがに明日はパニりたくないもんです。
posted by やすえ at 01:50 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月25日

失うことで得たものも、ある

自分ではそれなりに調子が戻ってきてるって思ってたけど、
まだ本調子ではないようです。

パニック起こさないように電車じゃなく自転車で大阪へ向かったのに、
ミナミの人混みを見て、発作起こしちゃいました。

週末の繁華街へのお出かけは、ある意味命がけのようです。

凹。


それでも。

こういう辛さを抱いてる人の気持ちは、
理解することができる心は、
持てたのかも知れない。

失くしたものと引き換えに、
神様がくれた贈り物。
それで、あとから来る人たちに、
心休まる存在であれれば、
幸いかもしれません。
posted by やすえ at 18:57 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月23日

こぼれ落ちる記憶と受け止める記録

“十で天童、十五で才子、二十過ぎれば只の人”
ということわざもありますが。

言っちゃあ何だが、子どもの頃はそれなりに記憶力の良かったと思う。
思う、というのは、それが確かなことなのかの記憶が既に怪しいのだ。


特に鬱を患ってからの記憶の保管期間が短くなっていて、処方される薬も、自分でマジックで服む日付を書いておかないと、服み忘れるか、二重服みしてしまうのだ。
買物行くのに財布を忘れるとか、
銀行へお金を下ろしに行くのにキャッシュカードを忘れるとか、
病院へ行くのに診察券を忘れるとか、
整骨院へ行くために家を出たのに、整骨院へ行くのを忘れて帰宅するとか、
そんなようなことはもうしょっちゅうで、ちょっと飽きた。っていうか呆れた。
同じ日に違う予定を2つ以上入れると、パニックを起こしかけるので、私と約束事をしてくださる方は、たまに予定確認を事前に入れていただけると、非常に助かります。



近年の私を知る人なら分かると思うが、人様の顔と名前とを覚えることがひどく苦手だ。
よっぽど何か特別な印象がない限り、記憶からははらはらとこぼれ落ちていく。
いや、特別な印象があったとしても、怪しいな。
信じてもらえないかも知れないが、20代の頃に好きだった人の記憶なんて、正直もう脳裏にはなかったりする。
きっと道ですれ違ったとしても、思い出すことなんてないだろう。
私は今を生きるのに精一杯なんだ。申し訳ない。





悲しいことがたくさん起こって、僕は思わず神様に祈った。
こんなにたくさんの悲しい記憶を持ったまま生きていくのは嫌です。
叶わない想いなら、いっそあの子に出逢ったことすら忘れさせてください、と。
神様は黙って頷いて、僕の記憶をそっと持ち去ってくれた。
出逢った日のこと、
そっと胸ときめかせたこと、
偶然ぶつかった肩の小ささ、
一度だけ二人で旅した日、
夢の中で触れた唇の柔らかさ、
君の精一杯のやさしい拒絶、
故郷へ帰る日、言えなかったさよなら、
すべては忘却の彼方へ。

…という夢を見て泣いた。






悲しみに耐えかねて記憶を放棄した私に神様がくれたのは、
記録する、という手段。
覚えておきたいことだけ、言葉にして綴っておけばよいのだ、と。
おかげで私は今、日々のささやかな幸せを、こうして指先で言葉に紡ぎ出している。
たとえ忘れてしまっても、その言葉たちを読み返した時、そこに込められた皮膚感覚の記憶までもが鮮やかによみがえってくるように。



こぼれ落ちていく記憶の中から、忘れたくないことだけ受け止めて、こうしてここに書きとめておくんだ。
posted by やすえ at 02:14 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月21日

するりと身をかわし逃げていく蝶々のように

書きたいことが突発的にいくつか浮かんでいたのだけれど、
いざこうやって書こうとキーボードへ向かっても、
もう真っ白になってしまって指が動かない。

書こうと思ったときに言葉を手繰らないと、
書けないんだなぁと思い知る。



必要に応じて、この日記の過去ログを紐解いてみた。
2年前の今頃の日記を読み返すと、
「今日も仕事で失敗した」ばっかり書いている。
失敗には2通りあって、
取り返しのつく失敗と、
取り返しのつかない失敗とに分かれるわけだけれど、
究極の意見を言えば、命に関わらなければ取り返しの付く失敗で済むんじゃないかな。
…って、それは今の私がその渦中から抜け出たから言える言葉。



感情の起伏はなかなかやっかいで、
それでも、好きだとか愛おしいとか、そういった気持ちが湧いたなら、
大切にしていきたい。
さっきみたお友達の日記にも、
「好き」がたくさんある方が幸せに決まってる、って書いてあって、
本当にそうだと素直に思う。



実はものすごく会いたい人がいます。
その人の言葉はできるなら一言も聞き漏らしたくない。
恋かどうかは分からない。
そもそも恋って何なのかすら分かってないかも知れない。
だけど、その人のことを考えると胸がきゅん、と鳴って、
その人の言葉を目にするたびに、ああ、そうだねと素直になれている。

もっと好きな人が現れるまでの間、
どうか好きでいさせてください。
ささやかな、私の願い。



お酒呑みながら日記を書くのは、
私にとっての“心の父”の受け売りかも。
あ、私はビールじゃなくて、焼酎とかラムとかワインだけど。
きっとあなたもまだ寝てないんでしょ。
でも昨夜はとても良い歌をたくさん聴かせて頂けたので、
私もまだ生きていけると思いましたよ。
愛されたいのは私も同じです(笑)
お客さんに「ええ声ー」と言われ、反射的に
「産んでくれた母親に感謝します」と言ったあなたに、
何だかとても暖かい気持ちをもらえた気がしますよ。



さっき時計を見て、まだ1時半だと思ってたら、
どうやら1時間みまちがえてたみたいです。
そろそろ眠ったほうがいいやんね。
posted by やすえ at 03:11 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月18日

一週間のできごと

色々なことが本当に飽きもせずに押し寄せてくるもんだと思う。


そして結局のところ、打たれ弱い私は、何もできず、何にもなれずに立ちすくんでいるようだ。




一週間の真ん中で、
とても優しいうたを聴いて。
ボッコボコに凹んでいたけれど、心が暖かくなった。
君の弾きおろすEのメジャーコードに、また助けられたみたい。




起こった出来事をひとつひとつ整理してみる。

私にできること、できないこと、整理してみる。

胃はきりきりと痛んだり、鈍痛に襲われたり、吐き気に見舞われたり、
こんなに身体が悲鳴を上げるなら、それはできないことなんだろ。きっと。

逃げることすら選択肢だと誰か言ってくれ。




大切なお友達のところに、あなたからの手紙が届いて。
私のところへ、今、あなたからの手紙が途絶えてるのは、私よりももっとあなたの言葉を必要としている人のところへメッセージを送るために力を使っているんだとわかり、気持ちが穏やかになりました。
私の心が瀕死の状態だったあの日、あなたからの言葉に生きのびることを決心できたように、きっと私のお友達も、あなたの言葉に勇気付けられたことでしょう。
私にもまだ、あなたの言葉は必要ですが、それでも一人立ちできるよう、私なりの冴えたやり方を手探りして行こうと思います。




なごり雪舞うほどの寒の戻りに思わず風邪をひいてしまったけれど、
その分、立ち止まって振り返る余裕を持てたんだろう。

できないことをできないと手放す勇気もきっと必要。

私の意志で私を動かしていこうよ。


新しい季節が、また、始まる。
posted by やすえ at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月12日

最近の体調

…についてはあまり書いてませんでしたね。


薬(トレドミン)の副作用による直接的な胃の不快感は随分少なくなったのですが、別の問題も出てきてまして。

肩こり&首のこりが激しいためか、背中の筋肉が凝り固まって、胃の動きが鈍くなってしまっているようです。

で、げっぷが出ない。
というか、出せない。

胃にガスが溜まって苦しいんだけど、それをうまく出すことができないみたいなんです。

なのですが、ここんとこ短期バイトで回ってくる現場と言えば、肩がこる作業が殆ど。

一番よく回ってくるのが、一日中椅子に座って、小さな部品を検品するって作業で、目を使うんで肩こりに直接作用しちゃうんですよね、これって。
はっきり言って、パソコンに向かってる方が全然肩こらないですよ、比べたら。

なんで、なるべく自己調整してるんですが、あまり選り好みしてると現場も回ってこなくなるっちゅー悪循環もあったり。



でも、それ以外はそれなりに平行線かな(あくまで体調的には)。

花粉症も、例年に比べると随分ましだし。
夜中に鼻つまって目が覚めるのは相変わらずだけど。


世界的には、暖冬なのはあまり良い現象じゃないけれど、
個人的には、寒くない冬ってのは有り難かったりする。


いろんなことが起こるけど、
できること、ひとつづつ、何とかできていけると良いな。
posted by やすえ at 00:53 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月09日

つまるところ

私はとても未熟者なので、
自分の経験則からしか物事を判断できないので、

本当は、あなたたちに、
もっと優しい言葉をかけてあげたかったのだけれど、

悲しみの度合いがあまりに大きい時には、
何を言われても、本当のことは当事者にしか分からないのだろうから、

こんな時の適切な言葉を捜せなかったので、
結果、黙っているしかできなかったのです。


とても気になってはいたけれど、
それを伝える術すらない自分の無力さを思い知る。


なので、せめてここから祈っています。
あなたたちも見ているであろう、あの一番輝いてる星に。


明日くる夜明けが、
未来を照らしてくれますように。


流した涙の分だけ、
優しい人になれますように。


黙っているだけでは何も伝わらないのは百も承知で、
それでも、そっと、ここから祈っています。
posted by やすえ at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月06日

春霞のような意識の大海で、君のことを考えている。

花粉症は相変わらずで、これでも例年より軽いんだろうけれど、
脳に酸素がちゃんと取り込めてないようで、
ぼおっとする日々が続いている。

でも、こんな風にぼおっとしている状態の方が、
より無意識の世界に近づいているようなので、
理論ではなく感覚の部分の触手を伸ばすように、
思考を漂わせて過ごしてみる。



こうして家でぼおっとしてても、
インターネットを介して、友人知人の近況はそれとなく流れてきて、
そういったことのひとつひとつに対して、
想うところは様々あって。

特にここ2週間ぐらいは、生き死ににまつわるような話が、
ものすごくたくさん入ってきたのだけれど、
今、生きているみんなは、私も含めて、
生きているってことをちゃんと噛み締めるべきなんだろう。







忘れっぽい私だけれど、
忘れないと決めたことがいくつかある。

既にいなくなってしまった人たちに、
思いを馳せる時間は、大切にしていたい。




あの夏の日、突然に私の前から去ってしまった君が、
伝えられなかった多くのことを、
せめて、これから出会える人たちに、
少しでもちゃんと伝えていくことが、
私が残りの人生でやっていくべきことなのかも知れない。
そんなことを、最近考えるようになっている。

君がいつでも、私の傍らで私に見えないように私を守ってくれていることは感じ取れてる。
何度も危険と隣り合わせのラインを通り抜ける度に、
紙一重のところで無事でいられたのは、
「使命を果たすまでは、こちらへ来るな」
という君のメッセージなんだね、きっと。

それでもこの前、自転車で転んだ時に顔から地面に着地したけど、
「これぐらいなら、ネタできた!って喜ぶんやろ、姉ちゃんのことやから」
と思われてるんやろうなと思う(苦笑)



あの夏から、今年で20年。
きっと私は、まだまだ死ねない。


君が見たかった、見られなかった、見たこともない物事を、
明日からも私の目で、この手で、感じ取って行こうと思う。
そしてこういった所に書き留めて行くことで、
君がいたこと、私がいたこと、残せたならそれで良いんだろう。




ぼやける無意識の意識の中で、
そんなことを思っている。
posted by やすえ at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月03日

そして夜明けを眺めていた

少し疲れていたようで、昨夜は湯船に浸かりながら居眠ってしまっていたので、
よし、明日は一日休息を取ろう!と決心したのに、
この季節特有の“鼻が詰まって目が覚める”状態が頻発し、
朝6時頃からは全く眠れなくなってしまったので、
仕方なく起きる事に。

鼻をティッシュで押さえながら、ぼーっと夜が明けるのを眺めていた。

(鼻が苦しいのは別として)こんな贅沢な時間を過ごすのも、また良いか。


それでも、今日は立ち止まって、身体を休めつつ、滞っていることが何なのかをひとつづつ確かめていこうか。

…整骨院にも行かなきゃな。
上半身がばっきばきに凝っている。
posted by やすえ at 07:37 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年03月01日

トラブリング・デイズ

例年より前倒しで始まった花粉症に苦しんだり、

自転車で果てしなく自損事故に近い転び方をして、
現在身体のあちこちが絶賛!青あざ祭りだったり、

2日続けて現場に出たら、
2日目の午前中の段階で、
疲労困憊だったりしたり、

相変わらず波乱な日常を歩いております。



ちょっぴり心がすさみかけてるので、

ここいらで自分みつめなおしを図りたい。



どうしても、加藤さんの「かくれんぼのはらっぱ」を歌いたくなって、
夜中なのにギターを引っ張り出してしまう。
ピックは使わずに、指でそっと撫でるようにギターを弾きながら、
ぱりらっぱってうたってみる。
とにかく君を愛してる、ってうたってみる。


少しだけ心が落ち着いた。



犬だって歩けば棒に当たる。
私だって色んな物にぶつかりまくる。

まだ人ごみは正直こわいし、
自転車で大阪へ行くのだって、
ある種の精神的逃避だったりするのだけれど。


何がしたいの?
何が大事なの?
そんな感覚を忘れずいたい。


そして春がやってくるのか。
posted by やすえ at 01:15 | Comment(0) | TrackBack(0) |